『ときめき/隣の女』『共鳴』収録。
一昨年の記事(↓)で書ききったつもりだったのですが、決定的な一言を書き漏らしていたので、補足版です。
前の記事ではこう書きました。「『ときめき』は恋するような年齢から脱したあとの女性の独白、といった具合です」と。
さらに、
『耳鳴り』にはラブソングもたくさんありますが、その"若い"恋愛からだんだんと変化していくのが、『Last Love Letter』『あいまいな感情』『ここだけの話』『謹賀新年』『ふたり、人生、自由が丘』『ときめき』『I laugh you』『たったさっきから3000年までの話』という感じです。”大人”になり、”夫婦”になり、そして”親”になっていくチャットモンチーの過程がわかります。
この曲については、"夫婦"になり、あるいは子供もいるような状態で、かつて恋人だった「あなた」について歌っています。
まさにそうなのですが、ここで引っかかりませんでしたか。なぜ『染まるよ』に言及しなかったのか。
いや。これは考えが浅かったなというか何というか。
そもそも、『染まるよ』はチャットモンチーで一番ヒットしたバラード曲なわけです。ひょっとするとチャットモンチーといえば『シャングリラ』よりも『染まるよ』を思い浮かべる人もいるかもしれないぐらいです。僕は昔も今もハナノユメですが……
ってなわけで、めちゃくちゃ重要な『染まるよ』なのですが、これも福岡晃子の筆です。福岡晃子が『染まるよ』を書いたのちに5,6年経ってから書いたのが『ときめき』なわけです。
で、ここでサビを思い出してください。どちらも「いつだって…」なのに気づきましたか。『ときめき』が、
いつだって恋がしたいよ あなた以外と
いつだって恋がしたい あなた以外に
思うばかり 抜け出せないのに
一方、『染まるよ』が、
いつだってそばにいたかった
分かりたかった 満たしたかった
プカ プカ プカ プカ
煙が目に染みるよ 苦くて黒く染まるよ
意図してかせずかはわかりませんが、『染まるよ』と『ときめき』はある種、対になるような構造があります。アンサーソングと言ってもいいかもしれません。『共鳴』のメインコンセプト(?)である大人になったチャットモンチーというのは、ここから滲み出ています。
『染まるよ』は既に失恋の歌でした。だから、「~したかった」が連発されます。一方、『ときめき』は夫婦の歌になっているので、「~したいよ」になっているんですね。この言葉のちょっとした違いが深みを出しています。
そして、『ときめき』の2番ではこう歌われます。
いつだってときめきたいよ あなたとだって
いつだってときめきが 私にだって
胸の奥の声が聞きたい
関係が終わってしまって、取り戻しがつかなくなりすべて過去形で歌われる『染まるよ』と違って、『ときめき』の夫婦はこの先をずっと見据えています。
深い愛で包まれている夫婦の生活ですが、もう恋のような感情はすっかりなくなってしまっていて、作者はそれに一抹の寂しさを覚えているわけです。一番では「あなた以外に/恋がしたいよ」と歌っていましたが、それでも「思うばかり 抜け出せないのに」というのです。
結局、不安も、不満も、好きも嫌いも、狂気も未熟さもすべて抱えて夫婦で生きていかなければならないのでしょう。そう悟った上で、半分諦めの、半分は深い愛のつまった本心が、「胸の奥の声が聞きたい」と2番で素直に歌われているのではないでしょうか。
『染まるよ』で「いつだってそばにいたかった 分かりたかった 満たしたかった」と後悔したところで、この頃の恋愛では失敗したらもうそれっきり、会えもしないかもしれません。そういう儚さがぎゅっと詰まったこの曲は言うまでもなく素晴らしいです。
『ときめき』は『染まるよ』と聴き比べると面白いな、というのが今回の気づきでした。
前回書き漏らしていたことをもう一つ。
嵐がすぎさって
私はいちごの種みたいに 狂気を胸にしのばせ眠る
ここのフレーズって大発明じゃないですか? この曲の狂気じみた、でも素直で純粋な雰囲気をぴったり表していると思います。しかも「いちごの種」。いちごの種が狂気を忍ばせているなんて考えたこともなかったです。いやー、さらっと歌われますがすごいパートだと思いますねここ。
改めて読んでみて思ったのですが、この「嵐」って夫婦喧嘩とか、夫婦仲の冷え込む何かの出来事を暗喩しているのかもしれませんね。歌詞としては簡潔なのに、深く読み下げることができて実に素敵な詩だと思います。